豆腐は、一説には紀元前2世紀に前漢の淮南王劉安(わいなんおうりゅうあん)の発明と言われています。しかし、日本で見られる最も古い文献としては、寿永2年(1183年)奈良春日神社の記録で、「春日唐符一種」とあるのが豆腐のことではないかと思われています。
後に、「白壁」と書かれたものや、「おかべ」という女房言葉で呼ばれていたこともあります。
古文書や古い日記類をみると、豆腐は冬に集中して用いられていたようです。それは、製法、保存法が夏の時期には不向きだあったことや、需要が少なかったことなどが考えられます。
江戸時代に刊行された「和国諸職絵巻」の豆腐売りの絵には、「とうふめせ、奈良よりのぼりて候」と書き添えてあります。奈良から京都まで約30kmの道のりを豆腐を腐らせることなく運ぶには、冬でなければできません。豆腐も今の豆腐より硬かったのではないかと言われています。
奈良は、堺の地に近く、海外文化がより容易に受けやすい場所であったことと、茶道の祖である村田珠光も奈良の人であり、日本で初めてまんじゅうを作った林浄因が居を構えた地も奈良であったことなどを考えると、日本の豆腐発祥の地がこの辺りではないかという説に信憑性があるように思われます。
12世紀から14世紀にかけて、豆腐の普及に大きな役割を果たしたのが、禅宗をはじめ仏教諸派の精進料理です。この時代に禅僧の手によって伝えられた食品として饅頭のほかに納豆、こんにゃく、麩、湯葉などがあります。
「健長寺汁」は、今のけんちん汁のことです。鎌倉健長寺で法要があった際に、人数が予定より増えたために人数分しかない豆腐を崩して他の料理と合わせて汁にして出したものだとも言われています。
このようにして、精進料理は次第に民間に広まり、鎌倉時代の末には庶民の食膳に豆腐は副菜として欠かすことのできないものになりました。
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